Unsocial Hours

海外ニュース・国際政治を身近に

世界地図の中で考える

 

お疲れ様です、かるなです。

 

 

最後の投稿から少し時間が空いてしまいました。ブログを始めてから約5カ月が経過し、振り返りの意味も込めて少し時間をいただいていました。これからまたまったりと再開していきたいと思いますので引き続きよろしくお願いします。

 

 

 

記念すべき再開記念として、今回は日本が誇る偉大な国際政治学者、高坂正堯先生の著書「世界地図の中で考える」(新潮選書)のレビューを行ってみた。

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この本を取り上げた経緯としては、尊敬する国際政治学者で安倍政権のアドバイザーも務める細谷雄一教授が、コロナ禍におけるブックカバーチャレンジでこちらの本を自身が最も感銘を受けた本として紹介されていたため、今回手に取ってみることにした。

 

 

高坂先生の本はこれまでに何冊か読んだことがあり、どれも素晴らしい作品ばかりだったが、この本は中でも群を抜いて面白かった。

 

 

国際政治学を扱う学術書としては珍しいことに、本書は比較的カジュアルな文体で書かれている。あとがきで高坂先生は「かなり自由な書き方をした」と述べているが、本当に読みやすくてびっくりした。国際政治にあまり関心がない人でも十二分に楽しめると思う。内容そのものも高坂先生の個人的意見が中心で、学術書にありがちな、事実関係の羅列や他の研究書籍の引用等が驚くほど少なく、もはや小説やブログのように楽しめた

 

 

本の内容は、高坂先生がオーストラリアのタスマニア島を訪れた経験をきっかけに、世界政治の状況を分析、国家間の在り方に関する現状の課題や将来の展望を幅広く語るというもの。以下に簡単に内容を振り返っていきたい。

 

 

1.  未知との遭遇と病原菌

 

本書冒頭では、オーストラリア・タスマニア島の大学を客員教授として訪れた高坂先生の回想が綴られ、その中でタスマニアの原住民が開拓者たる英国人のもたらした病原菌(結核菌)により絶滅した事実が紹介される。

 

 

これについて高坂先生は、結局、新たな国などの未知の存在と遭遇した際、最終的に生き残る国というのは、相手よりも多くの病原菌、すなわち「悪」を取り込み、多くの抗体を宿した国であると指摘。これは病原菌に限った話ではなく、社会体制にしても経済システムにしても、新たに外国から輸出された事象に対し、抗体・適応力がない国は内側から破壊されてしまうということが暗に示された。

 

 

印象深かったのは、このような未知の事象が外界からもたらされたときの対処の仕方。

 

 

人々が病原菌を完全消滅させるために国民全員を検査できず、結局新たな病原菌をその身に内包して生きていかねばならないのと同様、新たな国と遭遇し、異質な社会システムが輸入された際の国家の対応として鎖国や外国勢力の排除を掲げることは誤りであるということが指摘された。コロナとの共存が叫ばれている現在の状況を考えると、この指摘の正当性はより目立つ。

 

 

2.  他国への干渉の限界

 

次に高坂先生は、米国によるベトナム戦争と英国によるインド植民地化の例から、国家の干渉が及ぼす影響力の限界を示した。

 

 

これらの事象が示すのは、ある国が文明の伝搬や改革の意を持って他国に介入・干渉したとしても、文化や社会制度、価値観の相違から、思い通りの結果を得ることが困難であるということ。高坂先生はこれを「文明の限界」と称した。

 

 

この議論の中で、戦争という形で積極的な介入を行った結果、共産主義を食い止められなかったベトナムと対比する形で、他国からの積極的な介入がなされないまま共産主義勢力が敗北したインドネシアの事例が紹介された。

 

 

興味深かったのは、他国への干渉が失敗する理由として、干渉国側が被干渉国の持つ土着の価値観や文化を完全には理解できないことが指摘されるなかで、その一つの例として宗教が挙げられ、インドネシアにおける回教(イスラム教)の重要性が指摘されたこと。

 

 

高坂先生は、イスラム教に対する日本人の理解があいまいかつ表面的であることを指摘した上で、「一人の人間の頭にある世界地図は真っ白な何も書かれていないところがあったり、あいまいなところがあったりして、不完全なものとならざるをえない」と述べている。

 

 

これらの指摘から、世界政府や国際国家などの概念も否定され、異なる文明を持つ多数の国が自由に存在するの状態が望ましいことも指摘された。

 

 

3.  潜在的影響力

 

上記の議論を踏まえ、米国やロシアなどの覇権国が他国に干渉しすぎないことが理想的と示唆される一方、技術の発展により、これらの国々は存在するだけで他国に影響力を与えることも同時に指摘された。

 

 

輸送技術の進歩により経済力が地球のどこにいても容易に届き得ることに加え、仮に大国に政治的な介入意欲がなかったとしても、他国はそれらの国々による介入可能性を常に考慮しなければならない実情がその理由とされた。

 

 

これについて高坂先生は、「技術は世界をひとつにしてしまった。われわれは相互依存の世界に生きているのである。...われわれは昔のようなしかたで独立性を保つこと、すなわち自分自身の主人であることはできなくなっている。それはわれわれに深刻な問題を与えはしないだろうか」と語っている。

 

 

4. 相互依存世界における南北の課題

 

本書終盤では、このような相互依存世界を前提とした南北それぞれの世界における課題が示された。

 

 

南半球の比較的貧しい国々では、先進諸国からの技術・社会制度の流入が引き起こす社会システムの崩壊とそれによる社会問題が指摘された。

 

 

ここでは主にインドネシア・ジャワで起きた人口爆発とそれに伴う食糧危機・貧困問題が取り上げられ、外国資本の一時的な注入や医療技術の輸入により人口が増える一方、生活水準を上げるだけの社会制度改革が進まず、人口を養うだけの生産が確保できないことから、結果的に南半球の途上国の多くで貧困が生じている現実が問題視された。

 

 

またこのような社会制度改革を妨げている要因の一つとして、その国がもつ土着の習慣や宗教儀礼があり、これについてはインドのカースト制度を例に説明がなされた。これらの習慣を他国が取り除くことは難しく(また取り除こうと干渉しても先の理由で失敗するため)、ある意味、その国が自らの手で失敗を認識するまでは改善が難しいとされた。

 

 

一方で、日本を含む北半球の先進諸国の課題としては、まず技術開発に伴う公害やCO2排出量の増加に伴う気候変動などの環境被害が指摘された。また新技術の開発と普及に伴う旧技術の撤廃と雇用への影響、そして医療の発展により人々の寿命が伸びることに伴う社会保障問題なども指摘された。

 

 

後者の寿命延長の問題に関して高坂先生は、「人間が二十年だけ長く生きるようになることは、それだけ多くの意味ある仕事を作り、うまく配分することを必要とさせるのである」と述べており、今の日本が直面する問題の本質を見事に捉えている。

 

 

またもう一つの大きな問題として「価値の動揺と目的の喪失」が指摘された。情報技術の発達をきっかけに、現代社会には多くの価値体系や正義が存在し、一つの国の中でそれらが混在することで問題が生じているという。その例として、米国の黒人差別問題が挙げられた。

 

 

これに付随して、技術革新による情報技術の発達とそれに伴う「イメージ」の一人歩きの危険性も指摘された。ニュースなどを中心にこれまで以上の情報があふれるようになり、人々が多くの事象を「イメージ」で捉え、単純化して考えるようになったと高坂先生は指摘している。

 

 

また目的の喪失という意味で、日本を含む先進諸国の高度工業社会は経済発展という目標を達成しつつあり、同時に新たな目標を喪失していると高坂先生は指摘する。経済と技術が発展した結果、人々は目的意識の喪失と情報氾濫により、漠然とした不安に駆られているだけでなく、自分たちが「その運命を切り開いているのではなく、なにものが見えない力に操られて動いているのではないか、という不満感を持っている」と高坂先生は綴っている。

 

 

このような不安が人々の間に広がるなかで、現代社会の決定機構は大衆民主主義と電子計算機という二つのものによって象徴されていると指摘された。前者の政治システムについては、大衆民主主義という形で多くの人々が利害や意見を主張できるようになったことで、「政治はその雑多な利害を調整し、意見の妥協を計るのだから、それは個性の少ない存在とならざるをえないのである。...人々はあることについて決定を下したという実感を持ちえないのである」と綴られている。

 

 

後者については、技術の発達により、電子計算機が投資などの処理を機械的にこなすようになることで、人々は自らが決定したという感覚を持ちえなくなるという。「電子計算機がなければ現代の複雑な社会は運営できないが、しかし、それは人気のある存在ではないのである。人間はただ単に豊かで、便利な生活を望むだけでなく、それを自分で作りたいと思う存在である。自動的に豊かで便利な生活が与えられるだけでは、人間は満足しない。そこに現代人の不満がある」

 

 

これらの状況を踏まえた今後の展望として、「人々が自分の声を反映したと感じ、自分たちが社会運営に参加していると感ずるようにすることはきわめて困難なのである。...人々に社会のなかで"ところ"を与え、役割を与えることは、今後の社会の大きな問題であり、われわれはその問題に大きな注意を払わなくてはならないが、しかしそれを満足行く形で解決することはできないかもしれない。人々は巨大で複雑な社会のなかの小さい無力な私に不満を感じつづけるであろう」と高坂先生は指摘する。

 

 

このような不安と不満があふれる社会で人々は「狂信」と「強力な信義」に救いを求め、「人々は教義を狂信するという道を歩むかもしれない」、「また狂信の逆の側には、混沌に圧倒されてしまった結果である懐疑主義が待っている。それが高度工業社会の人々の苦況なのである。果たしてわれわれは愚かな狂信と暗い懐疑主義の中間に踏みとどまることができるであろうか」という疑問が投げかけられ、本書は閉じられた。

 

 

 

 

 

 

 

本書を読み終えて率直に思ったのは、これは何についての本だったのか、ということ。もちろん内容が整理されてないという意味ではなく、すべての問題が互いに関連しあっていて、それでいて、ここまで自然かつ分かりやすく世界が置かれている状況を整理し、将来への展望を綴った本も少ないのではないかと感じた。

 

 

国家の干渉の話から始まり、技術発展に伴う課題に触れ、最後は現代人が直面している課題と今後の展望が見事に一貫して綴られていた。

 

 

そして何より感銘を受けるのは、この本が1960年代に執筆された本であるということ。著者である高坂先生は1996年にこの世を去っている。

 

 

例えば技術発展に伴うCO2排出量の増加問題については、本格的に議論されるようになったのは1970年代に入ってからだ。またイスラム教をめぐる宗教問題や黒人差別問題、そして本書冒頭の感染症の話などは、2020年代を生きるわれわれの世界の問題が60年前から変わっていないことをまさに示している。

 

 

高坂先生が本書の中で国家の干渉の問題を取り上げたのは、本書が当時出版された1968年にベトナム戦争がまだ続いており、米国の干渉行為に世界的な疑念が寄せられていたという背景がある。その後、米国がイラク戦争において同様の介入を行い、同様の疑念を招いたことは歴史の反復性を皮肉にも物語っている。また米国での黒人差別問題も目下の米国でのデモを考えると極めて感慨深い。

 

 

個人的に最も興味深いのが、先進諸国の人々が目的喪失に伴う漠然とした不安に駆られていて、その結果、「狂信」と「懐疑主義」の間で揺れ動いているという主張。この「狂信」は、イスラム原理主義であり、トランプ大統領であり、Brexitであるのかもしれない。

 

 

60年が経過した今、こと日本においては、寿命延長に伴う社会保障の問題はより一層現実味を帯びている。また冒頭部分の感染症に関する洞察も、まるで今のコロナ禍の中で執筆しているかのような鋭さだ。

 

 

また情報の蔓延による「イメージ」の危険性は、昨今、SNS上での批判が理由で命を落とした木村花さんの出来事などはその典型例として挙げられるかもしれない。

 

 

「電子計算機」による人間の個性の消失については、今の「AI技術」の普及と投資の自動化を見事に言い当てている。

 

 

こういう本こそ、まさに時代を超えた価値を持つ「古典」として、人々に広く読まれるべき本なのではないかと個人的に思う。

 

 

ここで取り上げた内容は、あくまで本書の一部分のみなので、より詳しい主張や内容については、是非とも本書を手に取って読んでもらえれば幸いです。

 

 

 

高坂先生のように60年先の未来を言い当てることはおそらく不可能ですが、本書での指摘内容と将来への予測を胸に、現在の世界で起きていることを改めて見つめ直してみたいと思います。

 

 

P.S.

先日、こちらのブログの購読者数が200人に達しました。ブログを始めてから約5か月でここまで多くの方々に購読いただき非常に嬉しく感じています。なるべく多くの方々にお楽しみいただけるよう、これからも精進してまいりたいと思いますので、引き続きよろしくお願いします。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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「鬼滅の刃」とワクワク感の変化

 

お疲れ様です、かるなです。

 

 

最近コロナ疲れ(?)によりニュースから少し離れており、代わりにストレス発散も含めて、今流行りの鬼滅の刃週刊少年ジャンプ)を読んでみました。今日はその感想になります。

 

 

※以下、ネタバレ含む恐れがあるのでお読みいただく場合は、ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回私はこの鬼滅の刃という作品をアニメで観た後、20巻まで止まることなく一気に読み進めた。たしかに面白かった。一方で、この作品も最近流行りの「恐怖感」を利用した作品だったなぁとつくづく思った。

 

 

より厳密にいうなら、「人類が未知の敵にグロテスクな描写とともに駆逐される恐怖感」、あるいは、一人一人のキャラがどのように惨殺されるのか、といった一種の恐怖感に近いワクワク感、とでもいうべきか。

 

 

GANTZ進撃の巨人テラフォーマーズなどがその典型だ。

 

 

これらのやや青年向けの作品は、ワンピースやナルトなどの少年向け作品と異なり、強キャラが無残に殺される描写が多い。

 

 

単純なバトルのワクワク感の裏に、いままで強キャラと思われていたキャラや綺麗な女性キャラが次の瞬間にどのように惨殺されるのかというサディスティックな期待感・感情が隠れている。

 

 

この手の感情に訴えかける漫画は、刺激が強いこともあって、青年向け漫画に見られることが多く、ジャンプなどの少年向け漫画にはあまり見られない。

 

 

両者の違いの例を挙げるとすれば、進撃の巨人のリヴァイ兵長が強い巨人と戦う際に、下手したらぐちゃぐちゃに喰われるのでは?というハラハラ感とともに読み進めることはあっても、ワンピースのルフィが次の瞬間に片腕を切り落とされたり、ナミの顔がぐちゃぐちゃにされたり、などといったハラハラ感を感じながら読んでいる読者は少ないだろう。

 

 

いわゆる王道バトル漫画では、その手のアダルト誌向けのグロテスクな描写や喪失感・恐怖感に頼ったバトルというのはあまり描かれない。それゆえに「王道」と言える。

 

 

鬼滅の刃」でいうなら、物語後半、ある程度の強キャラとされる「柱」たちが、絶対的な強さを誇る上弦の鬼たちに、次々に腕を切り落とされたり、綺麗な女性キャラの首が折られたり等の衝撃的なシーンが多く描かれている。

 

 

少年向け雑誌に掲載されている手前、先に挙げた青年向け漫画ほど表現や描写はグロテスクではないものの、いかにかっこいい技などで上手くカモフラージュしても、感情の揺さぶり方は明らかに王道バトル漫画とは異なる。

 

 

ある程度、死亡フラグを立てつつ、そこそこ読者に感情移入させた強キャラたちを無残にも葬り去っていく。

 

 

個人的にその手の恐怖感だったりグロテスクな描写を用いたサディスティックな感情に訴えかける漫画自体を悪いとは思わない。バトルに緊迫感を与え、いわゆる「ハラハラ感」を演出する上で、非常に効果的なテクニックだと思う。しかし、それだけに頼る漫画は作品としてどうなのだろうか。

 

 

たとえば同じく爆発的な人気を誇り、黄金期のジャンプを支えてきたワンピースやナルトなどには、一切その手のハラハラ感、描写は含まれていない。

 

 

代わりにこれらの漫画には、壮大なストーリー・世界観がある。いわゆる「ストーリー」が面白いというやつ。

 

 

次の島に行ったらどうなるのだろう、この試験を突破したらどうなるのだろう、などといったより大きな枠でストーリーが楽しめるようになっている。もちろん一つ一つのバトルもグロテスクな描写を使わずとも緊迫感を演出できている。

 

 

ワンピースで、ノックアップストリームに乗って空島に行く時のワクワク感は今でも鮮明に覚えている。

 

 

この手の漫画は、ストーリーや世界観、キャラの性格が細かく描かれており、伏線回収も徹底されている。そのため、読んでいて矛盾を感じることが少ない。

 

 

この点、鬼滅の刃はどうだったかというと、世界観については、そもそも舞台となっているのが大正・明治の日本であるため、世界そのものへのワクワク感はない。

 

 

それは仕方ないとしても、その他の設定・キャラの性格など、細かい点の作り込みが雑に感じた。

 

 

たとえば序盤に主人公が刀を作る際、特性に合わせて刀の色が変化するとの説明がなされ、ブリーチの斬魄刀のように刀に重きがあるのかと思えば、刀は何度も折れたり欠けたりを繰り返し、当初説明があった色の変化などは大して触れられることもなく最終局面を迎える。

 

 

また敵を倒した後は、不自然にパワーアップするのを防ぐためにギャグ風なノリの修行編の話が挟まれているが、この辺りも話の都合に合わせて入れているという感じがもろに出ている。

 

 

ギャグといえば、この漫画はギャグ要素がかなり多いが、話の都合的に仕方ない部分は全てギャグシーンを用いて雑にすり合わせている印象。

 

 

物語後半は特にワンパターンで、適当に読者に感情移入させた柱をいたぶって殺し、それを強くなった主人公が倒す、というのの繰り返し。柱一人一人が持つエピソードも取ってつけたような話ばかりで深みがあるものはない。

 

 

結局、この漫画が優れている点は、いい感じに思い入れができた強キャラを行き過ぎない程度で惨殺する、というサディスティックな感情を煽る描写のみで、それ以外の設定は申し訳程度に用意した、というのが個人的な印象。

 

 

この鬼滅の刃と同じ印象を抱いたのがキングダムだ。

 

 

キングダムは世界観がもう少し大きめに描かれているものの、やっていることは鬼滅の刃と同じで、新しい戦のたびに読者が感情移入できるキャラを登場させ、グロテスクな描写とともに最後は殺す、というワンパターン。いつ死ぬのか、どのように殺されるのか、というハラハラ感のみで、ストーリーへの重みや細かい設定は適当この上ない。

 

 

またキングダムに至っては大した修行描写もないため、毎回の戦で都合よくそれぞれのキャラが強くなっていく。もちろんご都合主義を完全になくすことはできないが、もう少し丁寧に描いてもよさそうなもの。

 

 

ただ皮肉にもキングダムも鬼滅の刃と同じく爆発的人気を博しており、人々にとっていかにこの「サディスティックなワクワク感」が中毒性を持っているかが分かる。

 

 

なぜこのようなストーリー性も細かい設定も乏しく、ただちょっとバトルが過激な漫画が昨今売れるようになってしまったのか。

 

 

一つには、いわゆるストーリーや展開の面白さが優れている王道漫画が既に確立しきっていることが考えられる。

 

 

ワンピースに至ってはもはや一つの世界史のようになってしまっているし、ワンピースを世界史に例えるならナルトは日本史といったところだろうか。これらの漫画が一緒に掲載されているなかで、それとは別の新しい世界観をこれら以上の細かさで描くのは相当ハードルが高い。

 

 

また冒険・ファンタジーの世界観を作り上げることは、バトルをワクワクさせること以上に細かい設定、作業が必要となり、コスパも悪い。また魅力的な世界観の創造というのは、いわゆる「センス・才能」がないとできないことなのかもしれない。画力も求められるだろう。

 

 

設定を考えるのに多大な時間を要す上に、センス・才能も求められ、挙句、既にお手本となるような先駆者たちの作品が完成されているとなれば、必然的にそれとは違うジャンル・分野で勝負するしかない。

 

 

そして、その新たなジャンルの漫画を模索した結果行き着いた帰結の一つが、鬼滅の刃であり、キングダムであるといえる。

 

 

人々は新たな世界や冒険の舞台にワクワクする代わりに、過激な描写から得られるサディスティックなワクワク感を求めるようになってしまったのか。「次の島には何があるのだろう」というワクワク感は、「このキャラはどう死ぬのだろう」というワクワク感に変わってしまったというのか。

 

 

別に過激な描写を使うのが悪いと言っているわけではない。大事なのは、それだけになってほしくないということだ。

 

 

個人的にこの手の過激表現と冒険へのワクワク感のバランスが上手く取れていると思う作品の一つが最近のハンターハンターだ。

 

 

もともとは世界観や冒険そのものにワクワク感を感じさせる漫画だったが、最近はキメラアント編以降、過激表現も増え、当初の冒険へのワクワク感と融合して、いいバランスが取れていると思う(それ故に休載しているのが非常に残念)

 

 

また、同じく現在ジャンプで連載されているものでいえば、約束のネバーランドなんかも非常に上手い思う。農園の外の世界はどうなっているのかという冒険へのワクワク感を維持しつつ、絶対的な強さを持つ鬼と普通の子供たちの戦い、という緊迫感を兼ね備えている。

 

 

この約束のネバーランドと非常に似ているのが進撃の巨人で、約束のネバーランドをもう少し青年向けにした感じだろうか(時系列を踏まえると、進撃の巨人を子供向けにしたものがネバーランド

 

 

また個人的にこれら3作品以上に激推ししているのが、メイドインアビスという作品。この作品は冒険へのワクワク感とバトルでのサディスティックな過激さのそれぞれが極めて高い上に、非常に上手く融合している。アニメ・映画化もされているので、ぜひ機会があれば見てほしい。

メイドインアビス|WEBコミックガンマ 公式サイト

 

 

ここまで漫画評論家のようなトーンでつらつらと自分の意見をのたまわってきたが、鬼滅の刃という作品が決して嫌いなわけではない。面白さを感じていなければ、最後まで読み進めることはできなかった。

 

 

ただ連載終了が一大ニュースのように報じられるほどの名作かと言われれば、間違いなく違うと個人的には思う。

 

 

このような社会との感覚のズレが、自分の老いによるものなのか、漫画全般に対する人々の期待値の変化によるもなのかは分からない。

 

 

ただ仮に前者が正しく、周囲から老害だ、何だと言われたとしても、自分が漫画に期待するワクワク感の質はこれからも変わらないと思う。

 

 

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東京タワーは色を変えないの?

 

お疲れ様です、かるなです。

 

 

政府と各都道府県知事の対立・足並みの乱れが指摘されているが、それについて昨日のワシントンポストは以下のように綴っていた。

 

 

日本版トランプ vs クオモ

 

 

コロナ対策をめぐる米国のトランプ大統領ニューヨーク州のクオモ知事の対立が日本の安倍首相と小池都知事の対立に似てるでっていう記事。

 

 

トランプ大統領役は安倍首相。経済的ダメージ避けようとしてコロナへの対応を躊躇したとして批判を浴びている」

 

 

ニューヨーク州のクオモ知事役は小池百合子都知事コロナの脅威に対し、はるかに毅然とした対応を取っている。日々の定例会見では、明確なメッセージと気さくなスタイルで評価を高めている」

 

 

この文章からも分かる通り、安倍氏への評価は低い。

 

 

台湾・韓国・香港が早々にコロナ対策を切り上げ、経済を再開してる一方、日本が緊急事態宣言を延長した事実に触れた上で、経済を優先した安倍氏の政策は「痛みを長引かせただけ」と酷評

 

 

反面、小池氏への評価はめちゃ高い。

 

 

「これまで小池都知事は『重大局面』などのシンプルなフレーズが書かれたフリップや見出しを用いて説明を行ってきた。また人気ユーチューバーのヒカキン氏との対談インタビュー動画までも撮影し、安倍氏よりもはるかに分かりやすい形で、人々に問題の重要性を訴えかけた

 

 

「また、小池氏の気品あふれるパステル柄のマスクにより自らのファンを獲得している」

 

 

 

 

なんか、トランプとクオモの対立構造に無理やり当て嵌めようとしてる感じがして、個人的には微妙に違和感。

 

 

探したら4月にロイターも似たような記事書いてた。コロナでネタがないからどこのメディアもネタ探しに苦労してんのかね。

アングル:際立つ小池都知事の存在感、コロナ対応で安倍首相と差 - ロイター

 

 

ワシントンポストの記事だと、小池さんは日本人の中で人気上昇中!みたいなノリで書かれてるけど、小池さんが会見で「感染爆発、重大局面」とだけ書かれたフリップを出して説明し始めた時はさすがに間抜けすぎて、個人的には「はぁ?」って感じだった。

 

 

しかも「気品あふれるマスクでファン獲得」とか、うちの婆ちゃんは「蓮○」議員のマスクが黒い、マスク不足の時にマスクなんかでおしゃれしようとしてんじゃねえって言って、N○Kに必死に苦情の電話いれてたけど、ほんとにマスクなんかでファンなんか増えてんのかね。

 

 

マスクでほんとにファン増やしてんのは、日の丸と富士山描かれた右派の人々が喜びそうなマスクとか部下の自衛官からウケそうな迷彩柄のマスクしてる河野大臣くらいなんじゃないか。

@かずず on Twitter: "「河野大臣のマスクが防衛大臣らしくて格好いい。」とかーちゃんに言ったら、「これは誰でもほしくなる。」と一言。航空自衛隊の手拭いでのマスクはマジでほしい。カズレーサーは絶対に同じものを作りそう。いや、すでに作って持っているかも。… "

 

 

個人的には、毎日、人が何人も死んだり、経営まわんなくて自殺したりしてる人がいるのに、優雅な口調で人ごとみたいなテンションで話してる政治家はみんな政治家辞めたほうがいいと思う。

 

 

小池さんもその一人。まあもともとの性格とか喋り方の問題もあるのかもしれないけど、必死さが全く伝わってこない。

 

 

大阪の吉村知事とか日に日に体がやつれてってるのが分かる。別に政策がちゃんとしてるなら、やつれるまでやれとは全く思わないけど、東京都の政策が優れてるかと言われれば別にそんなことないと思う。

 

 

むしろ評価されるべきなのは、最初に院内感染出たのを完璧に押さえ込んだ和歌山とかだと思う。政府と東京都を比べても個人的なはどんぐりの背比べって感じ。

日本の和歌山、世界から絶賛される - Unsocial Hours

 

 

そういや昨日の会見で日本は死亡者が少ないとか安倍くんがのたまわっていたけど、あれって感染者のうちの死者数が少ないって言ってるのか、それとも純粋な死者数の多さの話なのか。後者だったらそもそも検査数抑えてんだから死者も少ないに決まってんだろうよっていう。

 

 

世界ではコロナ期間の死者数全体の増加数に注目して、検査漏れの死者数の数を把握しようとかって見方が出てるのに、日本ではそういう動きはゼロ。この辺り記者の人とかコメンテーターとか気付いてる人に指摘してほしいと願ってるけどなかなかそういう見方は生まれていない。

日本のコロナ死亡率は低いという妄想 - Unsocial Hours

 

 

 

吉村府知事が太陽の塔通天閣をコロナ危険度に合わせてライトアップしてるけど、せっかく東京タワーとスカイツリーあるんだから、パクリと思われてでも「東京も大阪の動きに続きます」くらいの勢いでライトアップでもしてくれたら、小池さんへの評価も少しは上がるんだけどなー、と思った話でした。

 

 

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中国外務省がブーメランすぎて辛い

 

お疲れ様です、かるなです。

 

 

 

中国外交部 駐香港特派員の謝锋(Xie Feng)氏が12日のウォールストリートジャーナルに寄稿した。タイトルは「中国は世界のコロナとの闘いを支援したい」China Wants to Help the World Fight Coronavirus

 

 

 

 

謝氏は寄稿の前半部で、ウイルスの発祥地をめぐり中国が非難されていることに強い不快感を示し、他国の「無能なウイルス対策の尻拭いをするくらいなら次回以降、ウイルス検査も情報の共有も行わない方針をちらつかせた。

 

 

 

「中国はウイルスの感染拡大を最初に発見・報告し、原因となる病原菌を特定した上で、ウイルスのゲノム配列をWHOと世界各国に共有した。

 

 

にもかかわらず、中国は情報を隠蔽した、対応が遅いと非難され、被告人扱いをされている一方で、そのように中国を被告人扱いしているのは、必要に応じた検査や情報共有などに失敗した国々だ。皮肉なものだろう?」

 

 

「一部の国々は、責任をなすりつけるのに必死になるあまり、初期のウイルス対策における己の過ちを振り返ってさえいない。

 

 

果たしてそれはその国の技術力不足が理由なのか、はたまた責任感が足りてないだけなのか。そのような国では、感染者や死者数を低く見積もる行為や、情報の隠蔽工作もあったのではないだろうか?

 

 

ウイルスに関する発見事項を最初に報告しただけで、その国はウイルスの発生源と決めつけられ、責任を求められた挙句、他国の無能なウイルス対策の尻拭いまでしなければならないのだろうか?もしそうだとすれば、今後一体どこの国が人々の検査を買って出て、その結果を正直に報告するというのか?

 

 

 

 

謝氏は上記の脅迫じみた主張を展開する一方、各国による脅迫行為は正しい行動ではないとも指摘

 

 

 

「一部の国々はさらに踏み込んだ行動に出ており、ウイルスの世界的拡大を利用して利益を得ようと試みている。それらの国々は中国からの補償を要求しているが、脅迫や略奪行為がウイルスの拡大に対する正しい対策でないことは明らかだ」

 

 

 

 

また直近、中国はオーストラリアからの輸入停止と関税制裁を発表している一方、謝氏からは以下のような発言も飛び出した。

中国、豪州の食肉処理場4カ所からの輸入を停止-12日実施 - Bloomberg

ビジネス | 中国がオーストラリア産大麦に大型関税と発表 | NICHIGO PRESS | 日豪プレスが運営するオーストラリア生活総合情報サイト

 

 


「また別の国々は、今回の危機を中国との貿易を断絶し、経済的に中国から独立するための機会として捉えている。これは、世界の産業サプライチェーンを妨げており、今回の危機で弱まった経済の復興を遅らせるだけだ」

 

 

 

 

このオーストラリアへの経済制裁は、オーストラリアのモリソン首相がウイルスの発生源に関する国際的な調査を求めたことが原因とされており、これまで中国は第三国による発生源調査に断固として反対し続けてきた。

 

 

 

このウイルス発生源に関する議論について、謝氏は以下のように語っている。

 

 

 

「ウイルスの発生源の特定は、科学的に重要な問題だ。発生源に関する研究は科学者の役目であり、科学者が根拠に基づいた結論を導き出す。政治家はこれに干渉すべきでないし、ましてや他国に汚名を着せるような真似はもってのほかだ」

 

 

 

中国外交部は日ごろの記者会見でも一貫して上記の主張を展開し続けているが、世界的なパンデミックを起こしたウイルスだからこそ国際社会が科学的見地に立って調査をするのであって、実際のところ、発生源調査を政治問題として捉え、拒み続けているのは中国の方。よほど何かやばい事実でも隠れているというのか。

中国「米軍が武漢にコロナを持ち込んだ」 - Unsocial Hours

 

 

 

 

そのような情報開示に対する懐疑的な姿勢の裏で、謝氏は以下のように中国のコロナ対策を評価した。

 

 

 

「ウイルスの第一波を受けた国の中で、中国は『手探り』の対策を行った結果、優れた成果を上げ、意思決定過程を『包み隠さず』公表してきた」「コロナの被害が生じた際、武漢の人々が取った選択は英断だった

 

 

 

謝氏がこのような主張を行う一方、昨日のワシントンポストの社説によれば、今年1月1日から4月4日の間に計484人が中国の衛生状況に関して公に発言したことを受け刑事起訴され、中には武漢での葬儀に参列する列についての記事をアップロードしただけで罪に問われた人もいるという。

https://www.washingtonpost.com/opinions/global-opinions/a-chinese-lawyer-criticized-the-regimes-handling-of-the-pandemic-then-he-disappeared/2020/05/12/190e044c-93a4-11ea-91d7-cf4423d47683_story.html

 

 

 

 

また謝氏の寄稿を受けてなのかは分からないが本日のフィナンシャルタイムズには香港政府のNo.2、事務方トップを務めた陳方安生(Anson Chan)氏が寄稿し、香港内に設置されている中国中央政府駐香港連絡弁公室(事実上の中国政府の代表部)の権力拡大と香港への抑圧激化の現状を訴えた。

Financial Times

 

 

 

香港の民主派勢力が中国中央政府により続々と追放、拉致、殺害されていくなか、このような声を上げるのはまさに勇気がある行為といえる。

 

 

 

 

このように各方面から中国批判が寄せられるなかで、謝氏はその矛盾に満ちた寄稿を締めくくるような形で、コロナとの闘いにおいて各国は「チームメイトであり、ライバルではない」と綴った。

 

 

 

 

本当に米国や日本を含む他国のことを「チームメイト」だと思っているなら、是非ともそのチームメイトにウイルスの発生源調査を行わせていただきたい。

 

 

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【急募】コロナ感染ボランティア

 

お疲れ様です、かるなです。

 

 

 

昨日のフィナンシャルタイムズ紙で気になるコラムがあった。そのコラムによれば、米国の研究者らがワクチン開発促進に向け、新型コロナ感染ボランティアを募集するウェブサイトを立ち上げ、世界中からボランティアを募集しているらしい。

Financial Times

 

 

 

取り上げられたのは以下の「1 Day Sooner」(一日でも早く)というサイト。

1daysooner.org

 

 

 

本日時点で、102カ国1万6000人以上のボランティアが集まっている。

 

 

 

具体的にどういうボランティア内容かというと、ワクチン候補ができた際、ワクチンが本当に効くかどうか試すために、ワクチン接種後に新型コロナウイルスにあえて感染するというもの。このサイトでは、ヒューマン・チャレンジ・トライアル(Human Challenge Trial, HCT)と称されている。

 

 

 

通常のワクチン開発プロセスは大きく三段階に分かれ、最終段階である三段階目(Phase 3)では、被験者をワクチン候補を投与したグループとそうでないグループに分け、それぞれ一定期間、通常の生活を送ってもらった後、感染率を比較するという方式を取っている。

 

 

 

しかし、これには通常、数カ月単位の時間がかかり、被験者の数も数千人を要する。しかも現在のようなロックダウン(都市封鎖)、ソーシャルディスタンス下では、ウイルスへの感染リスクが抑えられており、ワクチンの効果を確かめるための比較が難しい状況にあるため、さらに時間がかかるとのこと。

 

 

 

 

そのため上記のチャレンジでは、ワクチン候補が開発された段階で、ボランティアの人々にワクチン候補を投与、効き目が出てきた段階で新型コロナウイルスにわざと感染してもらい、ワクチンが機能するかどうかを見極めるという。

 

 

 

これによりワクチン候補薬の効力の有無ワクチンの作用の仕方、また仮に感染症状が出た場合には症状の進行の仕方など、研究者にとって非常に有用なデータが即座に取れるため、その後のワクチン開発・ウイルス研究において大きな成果が期待されるという。

 

 

 

サイトによれば、ボランティアの対象は、感染・重症化のリスクを抑える観点から、20~45歳で持病がない人々に限られ、できれば医療従事者や集団感染発生地域の人々など、日ごろから感染リスクの高い場所で生活を送る人々が好ましいとのこと。

 

 

 

それらの人々であれば、万が一、感染症状が表れてもすぐに対応しやすい上に、新たな感染を生みにくいことから、感染した際の「相対的なリスク」が低いとされた。

 

 

 

また健康への配慮から、対象者は隔離の上、定期的な観察下に置かれ、万が一、感染症状がみつかれば、適切な医療措置を受けられるという。

 

 

 

実際にボランティアを行うかどうかは別として、この取り組みに興味・関心がある、というだけでもボランティア登録は可能で、その場合はサイト内上部の「Volunteer For Challenge Trial」という青いボタンから登録手続きを進められる。

 

 

 

 

このサイトの試みは、既に専門誌でも発表済みで、専門家からもワクチン開発促進による感染率・死亡率の低減につながるとのコメントが出ている。

Human Challenge Studies to Accelerate Coronavirus Vaccine Licensure | The Journal of Infectious Diseases | Oxford Academic

 

 

 

サイトを立ち上げたグループは、既に米国のバイオ医薬ベンチャー企業モデルナ社とも連携しており、WHOや米国立衛生研究所もこの手の「ヒューマン・チャレンジ」について審議しているとのこと。

 

 

 

WHOに関しては5月6日に以下のようなレポートも出しており、リスクの観点から初期的なウイルスの人体投与は18~30歳までの健康な成人に限定すべきとの提言がなされた。

https://apps.who.int/iris/bitstream/handle/10665/331976/WHO-2019-nCoV-Ethics_criteria-2020.1-eng.pdf?ua=1

 

 

 

 

ワクチン開発が1日早まれば7120人、1カ月早まれば22万人、3カ月早まれば50万人以上の人々が救われる、とサイト内では記載されている。

 

 

 

また既にボランティアに志願した人の声として、「ウイルスによる死者数を考えれば、ワクチン試験に向けた前例のないアプローチも正当化される」という言葉もサイト内で紹介されている。

 

 

 

この手の「自発的な感染」は、医療界では珍しい行為ではなく、マラリアコレラ、インフルエンザ、デング熱、ジカ熱などの過去の感染症でも行われてきた

 

 

 

一方、第二次大戦後に人間を被験者とする研究についての倫理原則・人権保障を定めた「ニュルンベルク綱領(Nuremberg Code)」によると、治療法が確立されていない病気への自発的な感染は、原則行わないよう規定されている。

 

 

 

これらについてFTのコラムニストは、「今は通常ではあり得ない状況、通常ではあり得ない措置も正当化されるかもしれない」「コロナは全てをひっくり返した。人々は新たな生活に備え、社会活動を再開させるのと同時に、ウイルス打破に向けた新たな倫理基準も採用する必要があるかもしれない」と綴った。

 

 

 

ちなみに同様の取り組みについてウォールストリートジャーナルも報じていたが、通常のワクチン開発プロセスの方が「ワクチン投与された人を意図的に感染させるよりリスクは小さい」「1回のチャレンジでどの程度短縮されるのかも不明」とやや懐疑的な見方を示している。

コロナに意図的に感染、物議醸すワクチン開発手法 - WSJ

 

 

 

 

 

 

 

現在、世界中でワクチン開発の必要性が叫ばれる一方、これまで報道されている通り、最終的にワクチンが一般化されるまでには数年かかるとされている。

 

 

 

昨日のワシントンポストの1面記事によれば、世界全体でウイルスを根絶させるには完成したワクチンの大量生産が必要であり、それには開発とは別に数年かかると専門家が指摘しているという。

https://www.washingtonpost.com/business/2020/05/11/coronavirus-vaccine-global-supply/

 

 

 

また各国によってワクチン開発能力・生産キャパシティが異なるため、ワクチンをめぐる戦略的な争いが生じるとも述べられている。

 

 

 

現に今の中国による世界各国へのマスク配布は「マスク外交」と揶揄されており、ワクチン開発後に「ワクチン外交」ならぬものが生じてもおかしくない。

 

 

 

コロナ対策をめぐり、米国は中国と絶賛衝突中のため、万が一、中国が最初に有効なワクチンを開発し、マスク同様、各国への配布を始めた場合、米国が取り残される可能性があると同紙は指摘した。

 

 

 

このような形でワクチン開発競争がひっ迫するなか、世界各国の医療体制も同様にひっ迫しており、日本では「若者にコロナ治療譲る意志カード」なるものも登場している。

「若者にコロナ治療譲る意志カード」 64歳医師はなぜ作ったか(NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース

 

 

 

このような「命の選択」を一刻も早くなくすためにも、ワクチン開発は引き続き急務とされている。

 

 

 

もし、そのワクチン開発の促進に自らの体を捧げられる方がいれば、まずは「1 Day Sooner」のサイトに登録してみてはどうだろうか。

 

 

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日本で三権分立が機能しているという誤解

 

お疲れ様です、かるなです。

 

 

 

巷では政府による検察庁法案改正の動きにより、「三権分立の原則違反」などとの批判が強まっている。

 

 

 

これについて政治ジャーナリストの田崎史郎氏は本日昼の報道番組で、内閣を構成する議員らは国民から選ばれているため、政府の行動は究極的には国民の意思に基づく行為であり、責任所在が政府ではなく国民全員にあることを示唆した。

 

 

 

安倍が悪いんじゃない、選んだ国民全員が悪いんだ、という田崎氏の主張はネット上でも反響を呼んだ。

 

 

 

このロジックに基づけば、国民を代表する議員および政府は、司法介入だろうが戦争行為だろうが何でもできるということを意味しかねず、たしかに暴論と言われても仕方ないかもしれない。

 

 

 

 

一方、田崎氏の主張が日本の政治システム・憲法解釈上、「おっしゃる通り」なのもまた事実。

 

 

 

ツイッターやテレビ、国会などの多くの場所で「三権分立」違反が叫ばれる一方、そもそも日本の政治体制は三権分立構造にはなっていない

 

 

 

三権分立とは司法(裁判所)・立法(議会)・行政(内閣・政府)がそれぞれ分離、独立し、互いに均衡・抑制し合う政治原則のこと。

 

 

 

その原則に則った代表的な政治体制が米国の大統領制で、米国では大統領、議会、裁判所が独立し、それぞれの構成要員が異なる方法で選ばれている。今年はまさにその一極である大統領選挙が行われている。

 

 

 

一方の日本では、教科書でもおなじみの「議院内閣制」という政治体制が取られており、立法を担う議会・国会議員の中で多数派を占める党から行政を担う内閣・首相が選ばれるため、立法と行政は事実上、融合しており、三権分立が機能する構造にはなっていない

 

 

 

ややこしいのは、三権分立という言葉は学校・教科書等でも必ず習う有名な概念であり、昨今話題となっている衆議院HPでも日本国憲法三権分立をとっています」と綴られている。

国会のしくみ:国会のしくみと法律ができるまで:キッズページ:参議院

 

 

 

しかし、実際の憲法には三権分立という言葉は明記されていない。記載されているのは、立法権は国会、行政権は内閣、司法権は裁判所が有していますよね、ということだけ。

 

 

 

なんなら「国権の最高機関」として立法権が最も優先されるとさえ書いてあり、ウィキペディア先生曰く、「日本国憲法三権分立を規定していないという解釈も成り立つというのが通説となっており、その場合は『国権の最高機関』である立法優位の一元的構造と理解されている」とのこと。

権力分立 - Wikipedia

 

 

 

そのため、日本ではたしかに三権は分立しているが、三権分立原則が本来意図している「三権による均衡・抑制機能」が機能するとまでは書かれていないし、また機能する構造にもなっていない

 

 

 

これらが示すところは、日本が採用している議院内閣制という政治体制が、政府権力の強化に特化したトップダウン型の統治体制であり、日本は選ばれた政治家や役人が司法を含めた社会全体を牛耳る「行政国家」であるということ。

 

 

 

国民が国会議員を選び、国会議員が首相を選び、首相が最高裁判所長官を選ぶ、という非常に一元的な構造。

 

 

 

故に、一度選挙で選ばれてしまえば、その後、国民が与党・内閣の動きをすぐさま止める術はない。

 

 

 

本来であれば、野党がうまく機能してくれればいいのだが、今の日本は与党・自民党の一強体制で野党による抑制も利かない状況となっている。

 

 

 

そのため、今の日本はある意味、民主主義的な独裁国家だともいえる。

 

 

 

 

このような政治体制にある国家の暴走を止めるための手段は主に2つ。

 

 

 

1つは国民が何らかの形で声を上げること。

 

 

 

議員といっても人間、次の選挙で落ちればただの人。そのため国民の声を無下にはできない。いくら対抗馬や野党がいない状況でもあまりにやんちゃすれば落選しかねない、そのように政治家に思わせることができれば、必然的に政府の行動は変わるかもしれない

 

 

 

「責任は国民にある」という本日の田崎氏の主張に対し、同じく出演していたラサール石井氏が「その国民の多くがツイッター上で抗議の声を上げている」と反論したが、それについて田崎氏は、声は上げればいい(叶うかどうかは別として)と主張した。その通り、声は上げた方がいい。

 

 

 

このような国民の声に背く形で、政府の行動が変わらなかった場合、残されたもう一つの手段としては、民主主義に則り、次の選挙で違う候補者に投票するしかない。この場合、残念ながら次の選挙まで主権者たる国民ができることは、ただひたすらに声を上げながら反旗を待つことだけだ。

 

 

 

 

本日の田崎氏がほのめかしたように、一連の問題は、究極的には日本国民の政治関心が薄く、人々が各党の掲げる政策や政治システムを理解しないまま、なんとなく自民党安倍氏に投票した結果だともいえる。

 

 

 

結局この手の政治体制の話が出ると、田崎氏が指摘した通り、最終的には国民が悪い、国民がしっかりするしかない、という結論に行き着き、そこで話が終わってしまう。

 

 

 

政府が暴挙に出れば選んだ自分たちが悪いと、次の選挙まで泣き寝入りする、それが日本という国の政治体制なのだから仕方ない、田崎氏や今の政府閣僚はみんなこんな風に考えているのかもしれない。

 

 

 

 

一方で、今回の政府による検察人事介入自体が悪い動きなのか、というのは少し別な議論でもある。

 

 

 

以下の堀江貴文氏による動画が分かりやすく説明してくれているが、日本の検察当局というのは非常に強い司法権限を有しているにもかかわらず、民主主義による抑制が利いていない危険な組織だということ。

www.youtube.com

 

 

 

現在の日本では、警察が容疑者を逮捕し、その中で有罪確立が高そうな事件を検察当局が自由に選び、起訴することができる。しかも検察は自分たちでも事件を捜査することができ、逮捕権も有している。堀江氏が言うように検察側がやばい人だったら、事件をでっちあげられた後に逮捕され、挙句、有罪にされる。

 

 

 

日本の検察制度の問題は、先日のカルロス・ゴーン氏の一件の時にも注目された。

 ゴーン氏、森まさこ法務大臣の反論に真っ向勝負(反論寄稿を投稿) - Unsocial Hours

 

 

 

また、堀江氏の説明の中にあった「メディアと検察はずぶずぶの関係」というのもリアルを物語っている。

 

 

 

メディア側は、自分たちが手に入れたスクープ案件を検察に報告し、それにより誰かが逮捕されれば、大きな報道機会となり、視聴率を獲得できる。検察側は捜査の手間が省け、犯罪を見逃さずに済む。ときにメディアが「検察の犬」と呼ばれる理由を物語っている。

 

 

 

早い話、メディア側からすれば、自分たちのスクープを検察がばんばん起訴して有罪にしてくれればいいのだ。その偉大な検察様が政府の顔色をうかがうようになり、なんらかの忖度が働き、これまで起訴してくれていたはずの事案が不起訴になれば、報道機会が減り、視聴率が下がる。

 

 

 

仮にその観点に立つと、各メディアが今回の政府の動きをとにかく批判的に報じている様子がまた違って見えてくる。

 

 

 

これらの事情を踏まえると、今回の政府による検察当局の人事権掌握の動きは、堀江氏が言うように、検察当局の強大な権限を抑えるという意味において、プラスの結果をもたらすのかもしれない。

 

 

 

しかし、だからといって政府が一方的に検察当局の人事権を掌握するというやり方が正しいのかといわれれば疑問が残る。

 

 

 

先に説明した通り、政府もまた強大な権限を持っている。検察人事への介入は政府権限の拡大に他ならない。

 

 

 

しかも、個人的に把握している限り、今回の政府の検察人事への介入は検察の強大な権力を弱めるため、という名目では行われていないはずだ。あくまで「結果的に」検察当局の力が弱まるかもしれないのであって、政府の意図が別にあるのは明らか。

 

 

 

これについて堀江氏は動画で、(自分も過去に東京地検に逮捕された経験があるため)ポジショントーク的なところは否めません、と述べており、まあぶっちゃけ単に検察否定したいだけなんですけどね、という立場を暗に示している。

 

 

 

 

その意味では、政府の権限拡大と検察当局の権限拡大という別個の議論が生じており、それぞれ別の解決策が現在、求められている、というのが正しい理解の仕方かもしれない。

 

 

 

 

また今回の政府の動きで何より問題視されているのは、そのタイミングだ。

 

 

 

コロナ危機で国民に外出自粛を呼びかける一方、コロナ対策を差し置いて検察介入を断行するという動きに多くの国民が疑問を呈している。

 

 

 

 

コロナ対策をどうするのか、検察人事介入による政府権限の拡大をどうするのか、そして検察当局の権力拡大をどうするのか、これら一つ一つに丁寧に解答を模索していくことが今の日本には求められている。

 

 

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今だに価値を見出されるNATO先生

 

お疲れ様です、かるなです。

 

 

 

ドイツのクランプ・カレンバウアー国防相が本日のフィナンシャル・タイムズに寄稿し、NATO北大西洋条約機構の重要性を改めて強調した。

 

 

 

クランプカレンバウアー国防相は寄稿の中で、今後のNATOの在り方に関して3つの提言を行った。

 

 

 

1つ目の提言として、NATOの改変は不要との見解が示され、民主主義・自由・法の支配などの基本原則や、集団防衛(1国が攻撃されれば全加盟国への攻撃とみなし、全加盟国が協調して対応)の原則を引き続き維持していくと訴えた。

 

 

 

この点において、特に安全保障の重要性を強調し、第二次大戦後のドイツでの「経済の奇跡(Wirtschaftswunder)」にみられるような戦後ヨーロッパ経済の発展は強固な安全保障体制の上で実現したと指摘。

経済の奇跡とは - Weblio辞書

 

 

 

 

2つ目の提言として、NATO軍事力強化が掲げられた。敵対勢力が今般のコロナショックなどの危機による社会混乱を利用する可能性を指摘し、危機下で安全保障を維持する上でNATOは必要不可欠と主張。

 

 

 

またNATOの軍事力を強化するにあたり、ドイツは「国の規模・経済力に応じて」引き続きコミットしていくとのこと。

 

 

 

 

そして3つ目の提言として、テロ、サイバー攻撃フェイクニュース、気候変動などの新たな脅威への対応力強化が掲げられた。

 

 

 

これに関しては、現在取り組まれている事例として、バルト3国の一つ、エストニアにあるNATOサイバー防衛協力センター(Cyber Defence Centre of Excellence in Estonia)などが紹介された。

 

 

 

 

これら3つの提言内容を念頭に、NATOは今後もコロナ対策の上で国際協力・安全保障維持に努めていくと結ばれた。

 

 

 

 

 

 

 

集団防衛原則の名の下、軍事力・ソフトパワーを今後も強化していきまっせ、という至極平凡な内容、というのが個人的な印象。

 

 

 

どうやら西ドイツがNATOに加盟したのが65年前の1955年5月5日らしく、それを記念する意味も込めて今回の寄稿が出された模様。

 

 

 

しかし本当にそれだけのためにこんな平凡な内容の寄稿を投稿したのか?と疑問が湧き始め、色々と前後関係を調べてみた。

 

 

 

 

まず最初に考えたのは、昨今、欧州、というか国際社会全体へのコミットが薄れつつある米国への何らかのメッセージという説。

 

 

 

そう考えた理由としては、先日のウォールストリートジャーナルに元米国防次官補代理と元米国務次官補が連名で以下の寄稿を行い、その中で欧州へのアプローチの修正を訴えているのを目にしたから。

【寄稿】中国封じ込めに向けた困難な道 - WSJ

 

 

 

「米政府が太平洋に目を向けている間は、欧州の同盟国は米国の変わらぬ支持の下で、自分たちの防衛をいま以上に自分たちで担うことができるようになる必要がある」

 

 

「中国がもたらす脅威の中心部分への対応を優先するということは、パンデミック後の米国の大戦略が、他の地域では関与の度合いを弱めたり、デタント(緊張緩和)の機会を求めて調整したりする必要があることを意味する.....欧州は、NATOの東側の安全を確保することに大部分の努力を集中すべきだ」

 

 

 

米国は中国の相手で手一杯なので、欧州のことは欧州が自力でどうにかしてくださいな、とあっさり言いきられている。

 

 

 

 

また以下の記事によれば、現在ドイツ国内で配備されている米国の戦術核兵器の撤去をめぐる議論が再燃しているらしい。

「米国の核」撤去論再燃 トランプ不信強く―ドイツ:時事ドットコム

 

 

 

記事によれば、「中距離核戦力(INF)全廃条約破棄などを進めた米国に対する不信感が社民党内で増大。米国への依存度を下げるべきだとの声が高まっている」とのこと。

 

 

 

INF全廃条約は、射程範囲500~5500キロの核弾頭および通常弾頭を搭載した地上発射型の短距離および中距離ミサイルの廃棄を定めたもので、冷戦期にソ連との間に結ばれた。

トランプ米政権、中距離核全廃条約から離脱表明 - BBCニュース

 

 

 

INF全廃条約を破棄した時点でロシアの軍事力強化が予想され、その脅威の射程圏に思い切り入っているドイツからすれば、自衛に走るのは当然の動きと言える。

 

 

 

 

またこれ以外に考えたのが、ロシアへのけん制説。

 

 

 

先日、ロシアでは対ドイツ戦勝記念75周年を祝う記念式典が行われたが、それに先立ち、ロシアが表明した歴史認識に対して旧西側諸国が抗議した。そしてそれに対してロシアも続けて反発、戦勝記念日をめぐり両陣営の亀裂が深まっている。

米と中東欧諸国、ロシアによる歴史「歪曲」を非難 戦後75年を控え 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

東京新聞:米英がナチズム勝利と主張 ロシア「歴史の歪曲」と猛反発:国際(TOKYO Web)

 

 

 

今回の寄稿の中でも「敵対勢力が今般のコロナショックなどの危機による社会混乱を利用する可能性」とつづられており、この「敵対勢力」というのがロシアのことを指しているのでは?とも考えてみた。

 

 

 

しかし、今回の寄稿は米ロへのメッセージというよりは、安全保障をベースにした加盟国内の一致団結を一貫して主張しているため、字面通り、現在解体しつつある旧西側諸国同盟の連携を訴えることを主眼においた寄稿という結論に至った(はじめから素直にそう受け取るべきでした)

 

 

 

今回のコロナショックだけでみても、欧州内でドイツ・北欧・ベネルクス3国などの富裕国と、スペイン・イタリアなどの南欧貧国との間に経済格差が生じていることに加え、先日はドイツの連邦憲法裁判所がEU側の決定を覆す判決を出し、法の秩序をめぐる新たな亀裂を生んでいる。

EUがドイツ提訴も、ECB買入策巡る憲法裁の判断受け - ロイター

 

 

 

また、コロナショック前の時点で、Brexitによる英国の離脱とEU予算をめぐる衝突、そしてダメ押しの米国の国際社会からの離脱と、もはやかつての連帯意識などないに等しいような状態になっている。

「Visegrad Four」VS「Frugal Four」 - Unsocial Hours

 

 

 

これらの状況を踏まえると、かつて旧西側諸国が共有した経済体制、法の秩序、リベラルな価値基準が失われつつあるのがはっきりとわかる。

 

 

 

この文脈でみれば、今回クランプ・カレンバウアー国防相NATO経由での安全保障の重要性を説いたのも納得がいく。経済、法の秩序、価値意識、これらがダメでも、まだ安全保障があるじゃないか!という考え方はある意味、合理的に感じられる。

 

 

 

また、この安全保障を重視した考え方は、先日読んだ「新しい地政学」が導き出した結論に通じる部分がある。

新しい地政学 - Unsocial Hours

 

 

 

冷戦が終わってお役御免かと思われたNATOがまさか加盟国諸国の連帯を維持するツールとして活用されるなんて、当時の指導者たちにとっても予想外なことかもしれない。

 

 

 

現在、米ソから米中へと対立構造がシフトし、トランプ政権率いる米国がかつての価値観を失いつつあるなかで、米・欧が一体となった旧西側諸国同盟がどこまで維持され得るのかは、今後のテーマとして注目していきたいです。

 

 

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