あんそーしゃる

世界の動きと日常

世界地図の中で考える

 

お疲れ様です、かるなです。

 

 

最後の投稿から少し時間が空いてしまいました。ブログを始めてから約5カ月が経過し、振り返りの意味も込めて少し時間をいただいていました。これからまたまったりと再開していきたいと思いますので引き続きよろしくお願いします。

 

 

 

記念すべき再開記念として、今回は日本が誇る偉大な国際政治学者、高坂正堯先生の著書「世界地図の中で考える」(新潮選書)のレビューを行ってみた。

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この本を取り上げた経緯としては、尊敬する国際政治学者で安倍政権のアドバイザーも務める細谷雄一教授が、コロナ禍におけるブックカバーチャレンジでこちらの本を自身が最も感銘を受けた本として紹介されていたため、今回手に取ってみることにした。

 

 

高坂先生の本はこれまでに何冊か読んだことがあり、どれも素晴らしい作品ばかりだったが、この本は中でも群を抜いて面白かった。

 

 

国際政治学を扱う学術書としては珍しいことに、本書は比較的カジュアルな文体で書かれている。あとがきで高坂先生は「かなり自由な書き方をした」と述べているが、本当に読みやすくてびっくりした。国際政治にあまり関心がない人でも十二分に楽しめると思う。内容そのものも高坂先生の個人的意見が中心で、学術書にありがちな、事実関係の羅列や他の研究書籍の引用等が驚くほど少なく、もはや小説やブログのように楽しめた

 

 

本の内容は、高坂先生がオーストラリアのタスマニア島を訪れた経験をきっかけに、世界政治の状況を分析、国家間の在り方に関する現状の課題や将来の展望を幅広く語るというもの。以下に簡単に内容を振り返っていきたい。

 

 

1.  未知との遭遇と病原菌

 

本書冒頭では、オーストラリア・タスマニア島の大学を客員教授として訪れた高坂先生の回想が綴られ、その中でタスマニアの原住民が開拓者たる英国人のもたらした病原菌(結核菌)により絶滅した事実が紹介される。

 

 

これについて高坂先生は、結局、新たな国などの未知の存在と遭遇した際、最終的に生き残る国というのは、相手よりも多くの病原菌、すなわち「悪」を取り込み、多くの抗体を宿した国であると指摘。これは病原菌に限った話ではなく、社会体制にしても経済システムにしても、新たに外国から輸出された事象に対し、抗体・適応力がない国は内側から破壊されてしまうということが暗に示された。

 

 

印象深かったのは、このような未知の事象が外界からもたらされたときの対処の仕方。

 

 

人々が病原菌を完全消滅させるために国民全員を検査できず、結局新たな病原菌をその身に内包して生きていかねばならないのと同様、新たな国と遭遇し、異質な社会システムが輸入された際の国家の対応として鎖国や外国勢力の排除を掲げることは誤りであるということが指摘された。コロナとの共存が叫ばれている現在の状況を考えると、この指摘の正当性はより目立つ。

 

 

2.  他国への干渉の限界

 

次に高坂先生は、米国によるベトナム戦争と英国によるインド植民地化の例から、国家の干渉が及ぼす影響力の限界を示した。

 

 

これらの事象が示すのは、ある国が文明の伝搬や改革の意を持って他国に介入・干渉したとしても、文化や社会制度、価値観の相違から、思い通りの結果を得ることが困難であるということ。高坂先生はこれを「文明の限界」と称した。

 

 

この議論の中で、戦争という形で積極的な介入を行った結果、共産主義を食い止められなかったベトナムと対比する形で、他国からの積極的な介入がなされないまま共産主義勢力が敗北したインドネシアの事例が紹介された。

 

 

興味深かったのは、他国への干渉が失敗する理由として、干渉国側が被干渉国の持つ土着の価値観や文化を完全には理解できないことが指摘されるなかで、その一つの例として宗教が挙げられ、インドネシアにおける回教(イスラム教)の重要性が指摘されたこと。

 

 

高坂先生は、イスラム教に対する日本人の理解があいまいかつ表面的であることを指摘した上で、「一人の人間の頭にある世界地図は真っ白な何も書かれていないところがあったり、あいまいなところがあったりして、不完全なものとならざるをえない」と述べている。

 

 

これらの指摘から、世界政府や国際国家などの概念も否定され、異なる文明を持つ多数の国が自由に存在するの状態が望ましいことも指摘された。

 

 

3.  潜在的影響力

 

上記の議論を踏まえ、米国やロシアなどの覇権国が他国に干渉しすぎないことが理想的と示唆される一方、技術の発展により、これらの国々は存在するだけで他国に影響力を与えることも同時に指摘された。

 

 

輸送技術の進歩により経済力が地球のどこにいても容易に届き得ることに加え、仮に大国に政治的な介入意欲がなかったとしても、他国はそれらの国々による介入可能性を常に考慮しなければならない実情がその理由とされた。

 

 

これについて高坂先生は、「技術は世界をひとつにしてしまった。われわれは相互依存の世界に生きているのである。...われわれは昔のようなしかたで独立性を保つこと、すなわち自分自身の主人であることはできなくなっている。それはわれわれに深刻な問題を与えはしないだろうか」と語っている。

 

 

4. 相互依存世界における南北の課題

 

本書終盤では、このような相互依存世界を前提とした南北それぞれの世界における課題が示された。

 

 

南半球の比較的貧しい国々では、先進諸国からの技術・社会制度の流入が引き起こす社会システムの崩壊とそれによる社会問題が指摘された。

 

 

ここでは主にインドネシア・ジャワで起きた人口爆発とそれに伴う食糧危機・貧困問題が取り上げられ、外国資本の一時的な注入や医療技術の輸入により人口が増える一方、生活水準を上げるだけの社会制度改革が進まず、人口を養うだけの生産が確保できないことから、結果的に南半球の途上国の多くで貧困が生じている現実が問題視された。

 

 

またこのような社会制度改革を妨げている要因の一つとして、その国がもつ土着の習慣や宗教儀礼があり、これについてはインドのカースト制度を例に説明がなされた。これらの習慣を他国が取り除くことは難しく(また取り除こうと干渉しても先の理由で失敗するため)、ある意味、その国が自らの手で失敗を認識するまでは改善が難しいとされた。

 

 

一方で、日本を含む北半球の先進諸国の課題としては、まず技術開発に伴う公害やCO2排出量の増加に伴う気候変動などの環境被害が指摘された。また新技術の開発と普及に伴う旧技術の撤廃と雇用への影響、そして医療の発展により人々の寿命が伸びることに伴う社会保障問題なども指摘された。

 

 

後者の寿命延長の問題に関して高坂先生は、「人間が二十年だけ長く生きるようになることは、それだけ多くの意味ある仕事を作り、うまく配分することを必要とさせるのである」と述べており、今の日本が直面する問題の本質を見事に捉えている。

 

 

またもう一つの大きな問題として「価値の動揺と目的の喪失」が指摘された。情報技術の発達をきっかけに、現代社会には多くの価値体系や正義が存在し、一つの国の中でそれらが混在することで問題が生じているという。その例として、米国の黒人差別問題が挙げられた。

 

 

これに付随して、技術革新による情報技術の発達とそれに伴う「イメージ」の一人歩きの危険性も指摘された。ニュースなどを中心にこれまで以上の情報があふれるようになり、人々が多くの事象を「イメージ」で捉え、単純化して考えるようになったと高坂先生は指摘している。

 

 

また目的の喪失という意味で、日本を含む先進諸国の高度工業社会は経済発展という目標を達成しつつあり、同時に新たな目標を喪失していると高坂先生は指摘する。経済と技術が発展した結果、人々は目的意識の喪失と情報氾濫により、漠然とした不安に駆られているだけでなく、自分たちが「その運命を切り開いているのではなく、なにものが見えない力に操られて動いているのではないか、という不満感を持っている」と高坂先生は綴っている。

 

 

このような不安が人々の間に広がるなかで、現代社会の決定機構は大衆民主主義と電子計算機という二つのものによって象徴されていると指摘された。前者の政治システムについては、大衆民主主義という形で多くの人々が利害や意見を主張できるようになったことで、「政治はその雑多な利害を調整し、意見の妥協を計るのだから、それは個性の少ない存在とならざるをえないのである。...人々はあることについて決定を下したという実感を持ちえないのである」と綴られている。

 

 

後者については、技術の発達により、電子計算機が投資などの処理を機械的にこなすようになることで、人々は自らが決定したという感覚を持ちえなくなるという。「電子計算機がなければ現代の複雑な社会は運営できないが、しかし、それは人気のある存在ではないのである。人間はただ単に豊かで、便利な生活を望むだけでなく、それを自分で作りたいと思う存在である。自動的に豊かで便利な生活が与えられるだけでは、人間は満足しない。そこに現代人の不満がある」

 

 

これらの状況を踏まえた今後の展望として、「人々が自分の声を反映したと感じ、自分たちが社会運営に参加していると感ずるようにすることはきわめて困難なのである。...人々に社会のなかで"ところ"を与え、役割を与えることは、今後の社会の大きな問題であり、われわれはその問題に大きな注意を払わなくてはならないが、しかしそれを満足行く形で解決することはできないかもしれない。人々は巨大で複雑な社会のなかの小さい無力な私に不満を感じつづけるであろう」と高坂先生は指摘する。

 

 

このような不安と不満があふれる社会で人々は「狂信」と「強力な信義」に救いを求め、「人々は教義を狂信するという道を歩むかもしれない」、「また狂信の逆の側には、混沌に圧倒されてしまった結果である懐疑主義が待っている。それが高度工業社会の人々の苦況なのである。果たしてわれわれは愚かな狂信と暗い懐疑主義の中間に踏みとどまることができるであろうか」という疑問が投げかけられ、本書は閉じられた。

 

 

 

 

 

 

 

本書を読み終えて率直に思ったのは、これは何についての本だったのか、ということ。もちろん内容が整理されてないという意味ではなく、すべての問題が互いに関連しあっていて、それでいて、ここまで自然かつ分かりやすく世界が置かれている状況を整理し、将来への展望を綴った本も少ないのではないかと感じた。

 

 

国家の干渉の話から始まり、技術発展に伴う課題に触れ、最後は現代人が直面している課題と今後の展望が見事に一貫して綴られていた。

 

 

そして何より感銘を受けるのは、この本が1960年代に執筆された本であるということ。著者である高坂先生は1996年にこの世を去っている。

 

 

例えば技術発展に伴うCO2排出量の増加問題については、本格的に議論されるようになったのは1970年代に入ってからだ。またイスラム教をめぐる宗教問題や黒人差別問題、そして本書冒頭の感染症の話などは、2020年代を生きるわれわれの世界の問題が60年前から変わっていないことをまさに示している。

 

 

高坂先生が本書の中で国家の干渉の問題を取り上げたのは、本書が当時出版された1968年にベトナム戦争がまだ続いており、米国の干渉行為に世界的な疑念が寄せられていたという背景がある。その後、米国がイラク戦争において同様の介入を行い、同様の疑念を招いたことは歴史の反復性を皮肉にも物語っている。また米国での黒人差別問題も目下の米国でのデモを考えると極めて感慨深い。

 

 

個人的に最も興味深いのが、先進諸国の人々が目的喪失に伴う漠然とした不安に駆られていて、その結果、「狂信」と「懐疑主義」の間で揺れ動いているという主張。この「狂信」は、イスラム原理主義であり、トランプ大統領であり、Brexitであるのかもしれない。

 

 

60年が経過した今、こと日本においては、寿命延長に伴う社会保障の問題はより一層現実味を帯びている。また冒頭部分の感染症に関する洞察も、まるで今のコロナ禍の中で執筆しているかのような鋭さだ。

 

 

また情報の蔓延による「イメージ」の危険性は、昨今、SNS上での批判が理由で命を落とした木村花さんの出来事などはその典型例として挙げられるかもしれない。

 

 

「電子計算機」による人間の個性の消失については、今の「AI技術」の普及と投資の自動化を見事に言い当てている。

 

 

こういう本こそ、まさに時代を超えた価値を持つ「古典」として、人々に広く読まれるべき本なのではないかと個人的に思う。

 

 

ここで取り上げた内容は、あくまで本書の一部分のみなので、より詳しい主張や内容については、是非とも本書を手に取って読んでもらえれば幸いです。

 

 

 

高坂先生のように60年先の未来を言い当てることはおそらく不可能ですが、本書での指摘内容と将来への予測を胸に、現在の世界で起きていることを改めて見つめ直してみたいと思います。

 

 

P.S.

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最後までお読みいただきありがとうございました。

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